何でもなさに気づく

子供の頃からずっと、親や学校あるいは社会から「何者かになれ!」と言われ続けて成長してきたのです。

そのために誰もがまだ何者でもない子供時代から、このままではいけないと思い始めてしまうのです。

いつかは何者かになるべく、つまりは何かを成し遂げて、周囲から認められる存在になるために、精一杯頑張ろうとするわけです。

そしてそのことを疑うことがないのです。いつまで経っても、社会から認められたと思えずにいる人は、何者かになれなくて自己否定するようになるかもしれません。

けれども一度でも立ち止まって、じっくりと自分の内側深くに入り込むことができたら、自分は何者でもないし、それが変わることはないと知ることになるのです。

何者かになったというのは非常にバカバカしい幻想でしかなかったと気づくのです。自分のなんでもなさを見つけてしまったら、それが何かに変化するなどという考えは起きません。

ないものはないのですから。何もないからこそ、比較の対象になることもないし、評価の対象にもなり得ないと分かるのです。

自分の何もなさに気づいた人から順番に、義務や責任からも解放されるし、欲望や罪悪感からもゆっくりと遠のいて行くことになるのですね。