無関心の勧め

一般常識的に言って、「無関心」というのはあまり良いニュアンスを持っていませんね。どちらかというと冷たくて、愛のない感じがしてしまいます。

例えば、親が子供の成長に無関心であるとか、成人しても政治に無関心のままでいる等々。ほぼ悪い意味で使われています。

ただ、無関心というのにもメリットはあって、そのうちの一つが対象と闘わないというのがあると思います。

対象と闘って何とかしてしてやろうと思わないわけですから、その対象から距離を取るということになるのです。ただし抑圧しようとはしていないことが大切です。

そうすると、その対象に対して自分のエネルギーが行かなくなるのですが、それがとても大切なのです。例えば対象を自分のマインドにやってくるモノについてみてみると。

猜疑心というのは誰のマインドにもあるものだし、それを無くしてしまうということはまず不可能なことです。

けれども、猜疑心に無関心でいることを貫くことができれば、そのパワーは一人でに小さくなってしまうのです。

一方で、その対義語である信頼の方に関心を向けることで、内側で信頼が大きくなっていくはずです。

罪悪感についても同様で、それから逃げようとせずにただ無関心であればいいのです。その対義語である安心や喜びの方に関心を持つようにすること。

このようにして、自分が感じていたいものにのみ関心を寄せるようにするのです。関心と無関心を上手に使いこなせるといいですね。