自我がついて来れない場所

またまたoshoの素晴らしい言葉が目に止まりました。

『沈黙の中に深く入っていくほどに
欲望も消えていく
欲望は周辺にだけ留まるようになる
それはあたかも、水面の波のようなものだ
海の中に深く潜っていけば、そこに波はない
欲望もまた、意識の周辺にだけ存在するようになる
深く潜っていけば・・
深く入っていくほどに、欲望も遠ざかる』

やっぱりそうですよね。意識の上っ面を生きているなら、そこには自我の欲望がウヨウヨしているわけです。

それを無くすことは不可能なことのようです。それはそういうものだからですね。自我を無欲にすることはできない。

だからそこから離れていくしかないのです。自我がその欲望と共に、ついて行かれない場所へ行ってしまえばいいのだと。

それが、「沈黙の中深く」ということのようですね。このことは、直感的に理解することができます。

なぜなら、自我は沈黙を続けたなら弱体化していくに違いないからです。そして何もないところでは、自我は活動できないのです。

だからそこまで自我がついてくることはできない。瞑想中に自我の欲望が消えていかないのなら、それは自我が瞑想をしている状態なんでしょう。

今日も自我がついてこれない場所まで行けたらいいなと願いながら、瞑想をすることにしようと思います。

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こちらの動画もぜひご視聴ください。

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