この世界はすべて二元性から出来ているというのは、よく言われることですね。それは、基本的には観察者という主体と非観察者という客体とに分かれているわけです。
これは人間だけでなく、動物についても言えることなのですが、人間と動物の決定的に異なるところは、動物の世界には主体と客体という感覚がないのです。
人間だけが、主体である自分が客体である他人を観察する際、その客体自体も主体として観察者となってこちらを見ているという感覚があるのです。
これは二元性ではなく、二元論になるのです。だから二元論だけが、主体である自分は同時に客体ともなるという事態を作り上げてしまったのです。
苦悩の原因はすべてこの二元論からやってくるのです。動物の世界では、自分が主体であることも、客体であることも両方ないので、心理的苦悩がないわけです。
もしも、二元性の世界と言えども本当の主体となるのは、私たちの本質である意識だけであって、「私」というエゴの主体としての存在は架空のものだと気づけば、二元論と苦悩が同時に消えていくはずです。
なぜなら、意識だけが主体であるならこの世界のどんな存在であれ、単なる客体に過ぎないということになるからです。意識である自己としての主体は、決して客体として観察されることはないのです。
すごくホッとしませんか?