何もないモノ

あるものを超越するということは、それを超えてその上に立つということではなくて、それをなくすということです。あるいは、それがないと気づくことです。

問題が起こったときに、我々はそれを頑張って乗り越えることによって解決することができると信じていますが、本当の解決はその問題が初めからないと気づくことなのです。

これは簡単なようでなかなか現実的には難しい感じがしてしまいます。しかし、私たちの本質とはそうした何もないものであると気づくことによって、難しいとの思いすら消えていきます。

「何もないこと」だけがあらゆることから超越しているのです。 あらゆるものを受け止められるのは、決して傷つかないでいられるものだけです。

絶対に傷つかないものとは、「何も無い」という状態であると分かります。つまり、傷つくなにものもないのですから、もっとも安全であり最強であるとも言えるのです。

対象となるもののありのままの色をそのまま見るためには、こちら側には色が「ない」ということが必要となるのです。

ありのままの形を把握するためには、こちら側には形が「ない」ことが前提となるのです。何らかの形があれば、それが邪魔をしてあるがままの形を受け取ることができなくなってしまいます。

この広大無限とも言える宇宙を丸ごと包含することができるものがあるとしたら、それは「ない」ものでしかあり得ません。何かがほんの少しでもあれば、不可能になってしまいます。

何も無い、空虚だということは、時間や空間をも超越しているのです。なぜなら、時間や空間がそこへ入り込む余地が全くないわけですから。

その「無」こそが、我々だと分かれば、そう気づいた自分こそ誰でもない何もないモノとして、この世界を完全に受容することができるということです。