○○な奴がいる

私たちは、自分の身体が一つであるように、心も一つであると信じています。一つであるからこそ、一人の自分でいられると思っているのです。

ところが、確かに心は一つであると言っても間違いではないのですが、一つの心の中にはそれこそ沢山の意識がうごめいているのです。

それは、百個と言っても二百個と言ってもいいくらいに、様々な意識があって、それぞれに全く異なる思いや主張を持っています。

右に行きたいという意識がいれば、その反対に左に行きたいと主張する意識がいると思って間違いありません。

今日は仕事を休みたいという意識があれば、絶対に行かなければならないと思っている意識があるということです。

つまり、心は一つであるとしても、その中には互いに合い譲らない意識があって、どちらが勝つかはその時になって見なければ分からないのです。

この互いに譲らない相対する意識を持っていることを葛藤と呼ぶのです。この葛藤を経験したことがないという人はまずいないでしょう。

どんなに心を癒していったとしても、そうした意識の断片がいなくなるということはありません。むしろ、癒すことによって抑圧して隠していた意識に気づくようにさえなるのです。

本当の自分の意識とは、こうした意識の断片とは異なり、何かを声高に主張することのない中立な意識なのですが、意識の断片を放っておくことによって本当の意識を乗っ取られてしまうのです。

そうすると、さっきはこう思っていたはずなのに、今は違うことを考えているというように、自分の意識や思い、あるいは感情がコロコロ変化するという状態になってしまいます。

センターの中立な自分の意識をしっかり中心に据えることができれば、こうした不安定な状態から脱却することができるようになるのです。

そのためには、中立な自分の意識を使って、沢山の意識が訴えてきたときにすべて、受け入れて深く共感してあげることが必要になります。

これを実践すればするほど、中立な自分が育ち、不安定な心を安定したものへと変えていくことができ、それが結局は成熟した自立的な心へと育っていくことになるのです。

例えば、「お腹が空いたなあ」と思ったら、すかさず、「お腹が空いた~と思っている奴がいる」という具合に三人称にしてしまうのです。

どんな場合にも、そうやって○○な奴がいるというようにして、中心の自分がその意識を受け止めて抱きしめ、十分に共感してあげることで、言いなりにならなくて済むようになるのです。

是非、日々実践することをお勧めします。そうやって中立な自分は心の中の誰の言うことも聞かずに置くことができるようになり、結果として明け渡す方向へと進んで行くのです。