「今」は一つ

ずっとずっと気づかずに来てしまったことがあったのですが、最近気づいてみてびっくりしていることがあります。

生まれてから今日に至るまで片時もそばを離れずにずっと自分と一緒にいてくれたものがあったのです。それが、「今」というものです。

家族であろうと、仲のいい友人であろうとも、その他どんな人や動物であってもずっと一緒ということはありえないのに、「今」だけはほんの一瞬でも別れずにいてくれました。

そんなことは当たり前だろうと思うかもしれませんが、そうでもないのです。私たちが、様々な体験をしたり、この世界に起こることを見聞きしたりするのは、「今」があるからです。

そういう意味からすると、「今」とはあらゆる現象が起こる舞台であるとも言えます。通常、私たちは常識的に昨日過ごしたときの「今」と、今日の「今」は違うと思っています。

なぜなら、昨日の「今」には、西暦2011年8月25日○○時、という識別子がついていて、今日の「今」には、2011年8月26日○○時というように違ったものがついているからです。

だから、それらは互いに違うものだとの認識をしているのです。しかし、よく感じてみると、いついかなる「今」もそれ自体には何の違いもないと分かります。

つまり、あれやこれやの「今」が沢山あるわけではないということ。「今」は唯一なのです。これが自分にとってとても新鮮な気づきだと感じているのです。

なぜ、「今」が沢山あると思ってしまうかと言うと、「今」という場で起こることが沢山あって、そのバラエティに富んだ現象と、それを支える「今」とを混同しているからなのです。

もう一度言いますが、「今」は一つあるだけです。そして、それは過去と未来の架け橋などでは決してありません。なぜなら、「今」は時間を越えているからです。

私たちは、「今」を過去と未来の中間にあると思うことで、時間というものをイメージしてしまうのですが、それは本当ではないということです。

「今」は自分にとってかけがえのないものだということが分かってきました。それなしでは、一瞬たりとも生きることができないからです。

「今」に包まれている感覚をつかめると、とても穏やかなそして清々しい気持ちになることができます。「今」はこれからもずっと自分を受け止め続けてくれるのですから。