二重構造で生きる

クライアントさんとのセッションにおいて、幼い子供の頃のどうしようもない惨めな出来事や、いつ終わるとも分からない望みのないような毎日の生活などをご一緒に再体験させていただくことが多いのです。

そんなときに、ご本人の当時のことを想像すると、場合によってはクライアントさんご本人よりも客観視しているセラピストの私の方が辛くなったりすることさえあります。

つまりそこでは、基本的に思い切り子供の頃のクライアントさんの気持ちに寄り添って、共感することが自然とできるのです。

ところが、もう一方の心では、そうした苦悩や辛い毎日のことにOKを出している自分がいるのです。これはとても不思議なことですし、なかなか理解していただけるようなものでもないので、決して言葉に出すことはありません。

しかし、心の中ではとにかくこの部分では悪とか間違いとかが全くなくなってしまうのです。すべてのクライアントさんの経験にOKを感じてしまうのです。

こうした心の二重構造については、この仕事を始めた当初から分かっていました。ただ、自分としてはこれが一体どういう意味なのか、どうしてそうした二つの捉え方が同時にあるのかが不可解でした。

今ではその理由がよく分かるようになってきました。クライアントさんに深く共感する方の意識というのは、通常の人間としての当たり前の心の機能だと思っています。

しかし、何にでもOKを出す方というのは、きっと起きていることを裁く気持ちがとても少ないか、あるいは全くない心の部分を使っていると思うのです。

そしてその部分は、人生というものをとても肯定的に捉えていて、何があったとしてもそれは必ずご本人にとって必要なことだし、それを経験しようと思ってこの人生を開始されたのだということが分かっているのかもしれません。

だからこそ、計画通りにことを進められているんだなということを感じてしまうのです。だからこその、OKなのですね。この感覚は、自分自身の人生に対しても使うことができるので、とても便利です。

きっと誰の心の中にも同じような部分があるはずなので、みなさんもご興味があったら探してみてください。必ず、どこかに潜んでいるはずです。