人は無邪気に過ごしていた幼いある日、自分というものがここにいるということに気づいて愕然とするのです。そこから、見られる自分を意識せざるを得なくなります。
それまで、広大な世界をあるがままに眺めていたのに、急に自分というものがいると気づいてからは、自分と世界を分けて見なければならなくなってしまいます。
それは何とも辛いことです。なぜなら、こんなに小さな傷つき易い自分がそこにはいると思うようになってしまったからです。
この世界と自分の区別もなかったのに、惨めな小さな自分が出現してしまったショックは言葉では尽くせないものがあるはずです。
それからは、ずっと長い間に渡って、様々な経験をする自分、あるいは欲しいものを手に入れてきた自分が、自分なのだという思いを強めていくことになります。
人の苦しみとはすべてがこのことに起因しているのです。なぜなら、そうした自分とは周りと隔絶されていて、孤独であると思い込むからです。
周りの世界や人々が危険なものとして目に映るようになり、自分をどうやって守っていけばいいのかということに全エネルギーを注ぐことになるのも無理はありません。
そうした自分像というものは、そのすべてが過去に作られたものであることにいずれは気づくことになります。
そして、きっかけはいろいろあるでしょうけれど、何らかの方法によって過去を遮断した瞬間に、自分が広がった無限の意識であることに気づくのです。
つまり、あの無邪気に世界を見るだけだった幼いころの自分を思い出すことになるのです。それはとても清々しい何とも言えない気持ちのいいものです。
今この瞬間に自分の意識を集中させることで、過去を切り離すことができるので、作り上げてきた自分のイメージからも離れることができるのです。
それが、本当の自分を思い出すことに繋がるために、突如として意識が広がった感覚がやってくるということです。
その感覚のままでいることは、すぐにはできないかもしれませんが、練習を重ねることでそこから離れなくなることができるはずと思っています。
そうした広がった意識の自分から、人としての自分を眺めることができると、とても穏やかなやさしい眼差しで受容することができるのです。