思い出はいらない

私たちの心の中には、今までに経験してきたさまざまな思い出が沢山残っています。何か印象に残る体験、あるいは大切な出来事の記憶など、それこそ数え切れないくらいのものがありますね。

例えば、卒業旅行のような特別なイベント事の経験などは、楽しい記憶でしょうし、そこで見た自然の美しい景色や風の香りなどはしっかりと心に刻まれることになったはずです。

勿論記念写真を気に入った仲間と撮ってみたりして、あっちからもこっちからも様々な方法を駆使して、忘れえぬ思い出作りをするわけです。

そうやって、後になって思い出すたびに、いい旅だったなあ、もう一度行きたいなあなどと感慨に耽ったりするのです。

ところで、ここで一つ考えてみて欲しいことがあるのですが、私たちが見ているこの世界というのは、そうした心の中に印象として残してきたものと深く関連しているということ。

まったくまっさらな心の状態で世界を見ているようにみえて、実は沢山の色メガネによって見てしまっているということです。

だからこそ、同じ風景を見たとしても見る人によってその印象はまちまちなのは当然のことなのです。つまり、その人がどんな印象を心に溜め込んできたかによって、反応が異なるということです。

もしも、心の中に蓄えてきた印象がとても少ない人がいたとして、その人はどんな物事の見方をすると思いますか?

それは間違いなく、欲望の発生の少ない見方、不満をあまり感じない見方をするはずです。なぜなら、その人が今体験していることが、過去の何かと比較されることが少ないからです。

そこに不平不満が発生する可能性はとても低いのです。その人は、いつも新しい気持ちで自分の体験をすることになるので、もっといい景色を求めたりといった、「もっともっと…」という反応をしないのです。

印象を沢山留めてきた人と、そうした印象を対象へとその都度返してしまえる人とで、どちらが心の不満が少なくて済むかを考えれば、どちらが快適な人生かはおのずと分かります。

いろいろな過去の記録というものが、その人の人生の厚みを物語っているという見方もできなくはないですが、心は空っぽであるほうがいいのです。

何を経験しても、そのときの印象を自分の心に留める代わりに、その対象へと返してあげるのです。その印象を自分の個人のものとするのではなく、あるべきところへと戻すのです。

そうすれば、いつでも心は空っぽであるため、過去からの不満に巻き込まれてしまうことがなくなり、常に今に意識を向け続けていることができます。

それはとても自由で軽やかな気持ちで生きることを約束してくれるはずです。「思い出作り」などという発想を手放して、今を満喫することですね。