沈黙の重要性

若いときのデートの定番と言えば、映画鑑賞というのが一つあげられると思います。自分の場合には、どちらかというと一人で映画を見に行くことが多かったと思いますが。

なぜなら、映画を観ている間は、基本的には二人で話すこともできないわけだし、また話しかけられたくもないというのがあって、わざわざ二人で見に行く必要性を感じなかったからです。

それと同じとは言わないまでも、瞑想も基本的には独りでするものだと勝手に思っていたのです。なぜなら、沈黙の状態で過ごすわけですから。

理屈はそうなのですが、人によっては自分独りでは邪念が沢山出てきてしまって、うまく集中することができないという場合がどうやらあるらしいことを知りました。

瞑想に慣れている人と一緒の方がやり易いというようなことなのかもしれませんね。勿論そうしたことは充分に考えられることだと思います。

また、自宅では家族がいて、なかなか落ち着いて瞑想する環境を作ることが難しいという場合もあるかもしれません。

そんなことを考えていたら、時々はこのセッションルームを使って、みんなで瞑想する時間というのを作ってもいいのかなあと思いつきました。

そうしたことを思いつく引き金になったことがあって、それは言葉で何かを伝えようとすれば必ず本質からずれてしまうというジレンマを感じるようになったというのがあるのです。

本当は沈黙していることが、最も真理を感じることができるはずなのです。それなのに、私は誰かと対面するとすぐに何かを伝えたくなる性質があり、言葉が多めになってしまうのです。

そういった反省もしつつ、瞑想の時間と空間というのが用意できたらいいかもしれないと思うようになったのです。

めっきり、クライアントさんからのご予約が減ってしまって、部屋が空いているというのも理由の一つではあるのですが。独りで瞑想しているだけでは勿体無いかなと…。

来年あたりから実施してみようかなと思っています。もしも、参加してみたいと思われる場合には、ご連絡下さい。希望される方が多ければ、いろいろ具体的に考えられますので。

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