宗教的な自分

自分が両親のDNAを半分ずつ受け継いでいることは間違いないのですが、最近自分と両親を比べて、あまりにも違いがあることに改めて驚いています。

確かに、肉体的な特徴だけでなく、気質の傾向なども似通っているところは沢山あるのです。父の根っこはのん気であり、母は心配性という互いに真反対の性質なのです。

私はそのどちらの要素も十分に併せ持っているという自覚がありますが、最近はのん気な面の方が大勢を占めているようです。

けれども、両親との違いを宗教的な観点で見てみると、まず父親は無神論者であり、母親はかつて日蓮宗の人を自宅に招いて、お経を上げていたことがありました。

私はそのどちらでもなく、現在知られている特定のどの宗教にも興味はなく、さりとて無神論者でもないのです。

最近では、自分のことを宗教的な人間であると、しっかりと自覚するようになっています。そのことが、両親との大きな違いであり、そのことが不思議な感じがしているのです。

先日、両親と何気ない話しをしているときに、私の宇宙観というか、本当の自己について少しだけ話しをしたのです。

自分の外側には何もないし、さりとて内側にもない。自分という人物がいると感じるのは、思考であって真実ではない等々…。

いつもはあまり聞こうとしない両親が、そのときにはそれほど抵抗するでもなく聞き耳を立てているようでした。

そして、なぜ自分たちの息子がそういうことに意識が向いているのかに、さかんに不思議がっていたのです。

宗教的な自分がそうでない両親より優れているとか、劣っているという思いはありませんが、この突然変異のような自分の志向が一体どこからやってきたのかは、本当に不思議なことです。

しかし、そういう自分として今があることには、本当に感謝しているし、幸運だなと心から思うようになりました。

私にとって、親との関係性においてとてもありがたいと感じていることは、自分がどんな考え方を持っても、決してそれを否定されることがなかったということです。

だからこそ、生まれながらにもっていた宗教的な探究心を、邪魔されずにそのまま育てていくことができたのだろうと思っています。