この宇宙(自己)の不思議さには降参です

目を閉じて、しばらくの間静かにしていると、この世界、この宇宙が壮大な夢のようなものだという感覚になることができます。

それは別の言い方をすれば、自己という純粋な意識が全体であり、それが唯一だということでもあるのです。

内側も外側もなく、ただ自分の本質としての意識が在るという感覚です。それは、大きさも位置も時間も何もない、完全なる澄み切った空であると。

あまりに不思議過ぎて、どうにかなってしまうんじゃないかというこの感覚は、自分としては幼いころからとても馴染んでいるものです。

だから決して恐がるような類の感覚ではないのですが、それでも自分がいなくなるような瞬間を、子供の頃から感じていたように思います。

大人になった今と違って、子供のころはその感覚がいつ何時やってくるのか見当もつかないので、それが来た時には無言で固まっていたはずです。

今では、落ち着いているときであれば、いつでもこの感覚の中に戻ることができますが、残念ながらその感覚には、人間としての感覚が混じっているようです。

それが、夢のように感じるという表現を作り出しているように思います。こうして、ブログを書いていると、ものすごくそれがやってきてくれます。

昨日も書きましたが、この変化のまったくない深淵の静寂さと、表面的な現象界の忙しさが同時にやってきて、その見事なコントラストには驚かされます。

それらは互いに全く異なるモノであるのに、完全に一つであるとも言えるのですから。本当に不思議で仕方ありません。