「自己防衛システム」の本性 その3

今日は、「自己防衛システム」の見え透いた手口の代表的なものを一つご紹介してみたいと思います。見え透いてしまうのは、幼いときに作ったからですね。

たとえば、「あきらめた」と人にも自分自身に対しても言うことがありますが、あれは少しもあきらめてなどいないということが見え見えです。

あきらめたとは言え、まだ少し未練が残っているなどと平気で言ったりするのですから、それはもうお笑いの世界でしかありません。

あきらめきれないでいると、自分の心が辛くなるから、「あきらめた」ことにするのです。自分を騙すことで、苦しさから逃れようとする自己防衛ですね。

本当にあきらめることができたなら、それは防衛システムから外れたことを意味するのですから、その場合にはあきらめたという言葉は出ないはずなのです。

望むもの(事)が手に入らない苦しみから、目を背けずに真正面から見てしまえば、その苦しみは消えてしまいます。

したがって、あきらめるなどという心的行為など、初めから不要なのです。防衛システムは、そのことを本人には決して悟られまいとして、不満な気持ちと一つになることをさせないのです。

私たちは、まんまとその手口に乗せられて、いつまでも執着という中途半端な心の状態にとどまるように仕向けられるのです。

何かをあきらめるということを止めることです。あきらめようとするのではなく、満たされない思いから逃げずにただいることです。

心理的に何もしないでいられたら、防衛システムはどうしようもなくなって、その勢いは減衰していってしまうことでしょうね。