無に身を委ねる

~久しぶりに、ガンガジの言葉より~

これを読みながら、リラックスしてごらんなさい。

リラックスしたら、何かをしようとか、この瞬間を有意義に使おうとか、この瞬間をキープしよう、あるいは遠ざけようとする傾向が自分にないかどうか、チェックしてごらんなさい。

こうした傾向はみな、あなたがすでに感づいており、そして深いところでわかっていること、つまり、あなたは実は単にあなたという個別の肉体でもあなたという人格でもなく、それどころかまったく何者でもない、ということに対するある種の抵抗から派生しているのです。

この『何者でもない』ということを、理性は、恐ろしいことと解釈します。つまりそれは死であり、無価値であり、なくてもよいものなのです。

あなたは肉体・思考と自分を強く同一視しているので、このことは非常な恐怖となります。無であること、空であることに抵抗しようとする理性の傾向は、この恐怖が中心にあります。

それは恐怖に対する戦略です。理性は突如活発に活動を始めるかもしれません。「でも、それはいったい何を意味するの? そんなはずはない。仕事ができないじゃないか。」

今、この瞬間だけ、こうしたすべての思考を脇にどけてみてください。そしてあなたの理性を無に委ねてごらんなさい。

何者でもないこと、何もしないこと、何も持たないこと、何も手に入れないこと、何も持ち続けないこと。

今この瞬間、あなたが本当に、進んで、意識して、ただ何者でもなくあることができたなら、一瞬のうちにあなたは、無の中に内在する平安を、広がりを、限界からの自由を見つけるでしょう。

事実あなたは無であり、何者でもありません。けれどこの無こそ、充実し、完全、無限であり、あらゆる場所のあらゆるものを充たしているのです。

この無こそ、意識そのものです。それはすでに完全、完璧で、不足するものがありません。これは驚くような皮肉です。あなたがそこから逃げ出そうとしているものとあなたが探し求めているものは、同じものなのです!

少なくともあなたは、ここに存在する無限の平安の気配、あるいは残響を体験することがあるはずです。それは、いつでもここに存在しているあなたの本当のアイデンティティの残響なのです。