どんな心の反応も楽しむ

私たちは、子供の頃からずっとどうやったら自分は安全で安心していられるのかということを気にかけています。勿論時には、それ以外の興味あることが重要視されることもあります。

たとえば行ったことのない遠くの街へ冒険しにいくとか、肝試しをしてみるとか、クルマのスピードを出してスリルを味わってみるなど、いろいろあるかもしれません。

けれども、それは一時のことであって、落ち着いた気持ちに戻ったときには、やはりどうやったら身の安全を確保できるのか、どうしたら心が傷つかずにいられるのかに意識が向かうのです。

実は、私たちが抱える苦しみのほとんどは、それが原因だと言ってもいいのです。なぜなら、そうした欲求は必ず満たされないときを迎えてしまうからです。

つまり、安全ではないと感じる環境に身を置かざるを得ない場面がやってきたり、誰かに否定されたり無視されたりして、惨めな思いと共に心を傷つけられることも起きるからです。

自分にとって好ましくないと感じることがやってくるのは、決して避けることのできないことだと認めることです。誰かが苦行の末に悟りを開いたとしても、その人にも同じように嫌なことはやってくるのです。

ただし、自分の心の反応を変えることはできるのです。例えば、自分が常々欲しいと願っているものを、もうすでに易々と手に入れている人が目の前にいるとします。

その時にどのような反応をするかは、本当に人によって様々でしょう。正直に羨望(あるいは嫉妬)の気持ちになるのか、あるいは見ないふりをするのか…。

それとも、どんな反応をするにしても、そうした自分を受け止める状態の心の部分を持っているのか。実は、これは反応そのものを変えるよりも画期的です。

なぜなら、自分の反応を楽しむ心の余裕ができるからです。そうなると、ごく自然にどんな反応をする自分のことも苦にならなくなるのです。