自由か、安心か?

昔懐かしい会社員だったころのことです。米国本社で開発したソフトウェアを、日本の環境で使えるようにする(ローカライズと呼んでいました)作業をしていたことがありました。

相当に賢いと思われる欧米人のエンジニアが書いたプログラムのソースを読んで、そこに必要となる手を加える作業なのですが、その時驚いたことがありました。

それは、一般的にプログラムを書くときには、コメントといってプログラムの中に説明文を書くという習慣があるのですが、ローカライズの作業にとってはそのコメントがとても大切なわけです。

その説明文の中に、次のような内容が書かれてあったのです。「今回、このアルゴリズムを使ったけれど、俺はもっと別の賢い方法も知っているよ。次のバージョンアップの時には、それを披露するからね。」と…。

原文は英語なので今記憶を元に適当に私が訳したのですが、ニュアンスとしてはこんな気楽で何とも自由な書き方がされていたのです。

プログラムのソースコードを見ることができるのは社内のしかもエンジニアだけなのですが、それにしても会社の所有財産となる大切なプログラムに自分の自由な私的な言葉を書くなんてと、びっくりしたわけです。

それにしても、やっぱり自由の国は違うなあと。そして、同じ自由さでもう一つ驚かされたことがありました。米国本社に滞在しているときに、それは起きました。

月曜日の朝職場に出向くと、いつも一緒に仕事をしている連中の数人が荷造りをしているのです。不審に思って聞いてみたら、何とその日の朝一でクビを勧告されたのだと。

日本ではあり得ないことですが、従業員を辞めさせる時にもあの国は別の意味で自由なんだなと驚いたのです。自分が自由でいられるということは、すばらしいことですが、その場合には周りのみんなの自由も尊重する覚悟が必要ということですね。

自由というのは、何かを守ろうとする心、つまり安心を求めていては決して手に入らないものなのです。あなたは、どちらをより強く欲しているでしょうか?自由か、それとも安心か?

今自分がどんな気持ちで生活しているかを見れば、結果は明らかになるはずです。