全体性の中に溶ける

私たち人間の身体が、約60兆個の細胞から出来ていることは周知の事実です。それが、どのようにしてだかは不明ですが、それぞれに固有の役割を担いつつ、互いに協調して働きながら生を営んでいるのです。

本当のところは分かりませんが、その一つひとつの細胞自体が固有の意志や欲求を持っているとは思えませんし、私たちのような自我があるとも思えません。

つまり、細胞一つひとつには思考というものがないということです。それはきっと、人間一人の身体全体を司る何かに明け渡している状態ということです。

私たち一人ひとりが細胞のようになれというのではありません。なぜなら、細胞には気づくチャンスがないからです。でも、自我を作ってしまった人間には、幸運にもそのチャンスがあるのです。

地球上の人間の数は60兆からは遥かに及ばず、たったの70億程度ですが、それぞれが固有の意志や欲求を持って、自律的に活動しているように見えますね。

それぞれにある程度の関連を持ってはいるものの、所詮は個別性の中で人生を生きていると思い込んでいます。つまり、バラバラな存在なんだという強い思い込みがあるのです。

けれども、全体性に気づいた人はそうは思わないのです。細胞一つひとつと同じようにして、70億の人々は遥かなる源泉からの力によって、完璧に仕組まれた生を生きているのです。

私たちが明示的に明け渡すかどうかに関係なく、本質的には細胞と同じように最初から明け渡しているのです。それ以外の状態になったことは一度もありません。

今この瞬間、このブログを打っている私の指先の動きの一つひとつも、明け渡し以外の何物でもありません。全体性に注意を向ければ、そのことが自明となるのです。

思考の中で暮らす自我には、全体性を見ることができません。なぜなら、思考そのものが分裂を意味するからです。思考とは、分離なのですから。

全体性とは、あらゆるものを包含した「無」です。あなたの心の中についても、そのように見ることです。どこか一部分だけを切り取って、これはすばらしいとか、ここはダメな部分などとやらないことです。

あなたの心の中に、愛以外のいかなるものがあろうと、それは全体性の中に溶けてすばらしい働きをしているのですから。