傷つくことの大切さ

誰でも傷つけられるのはイヤなものですね。身体的に傷つくのもイヤですが、それにも増して心が傷つけられるのは本当に御免こうむりたいものです。

まだ自我が確立していないような幼い子供の時分は、無邪気に正面から接してきますが、その分だけ心が傷つけられてしまう場合が多いのです。

その体験に懲りて、次第に無邪気な振る舞いをしないようになっていくのです。つまり、無防備であった毎日から少しずつ自己防衛の毎日へと変化していってしまうのです。

心を開いていた分だけ気持ちは清々しかったはずですが、それだけ傷つけられやすくもあったので、傷つかないようにと準備を始めてしまうのです。

こうしたことは、誰もが通る共通の道なのです。自己防衛の具体的な作戦は、人によってそれぞれ違うのですが、概ねは二種類に分類されます。

一つは、人と接する機会を減らして、なるべく独りでいるようにするという作戦です。そもそも自分を傷つける誰かと一緒にいなければ、安心していられると思うからです。

もう一つは、人と接しながらもそこでなるべく傷つかないようにといろいろな防衛法を身に着けるのです。それこそ、プライドを高くしたり、勝負で勝ちにこだわったり、常に見下すネタを探してみたり、自分の正しさや能力で心の鎧を着るのです。

無邪気な幼少期を第一段階とすれば、こうした自己防衛ど真ん中で生きるようになるのが第二段階と言えます。このままでは、人生は味気ないつまらないものとなってしまう傾向が強くなります。

そして、第三段階がくるのです。それは、傷つくことを恐れても、その恐れを正面から感じることで、逃げなくしていくということです。防衛半分、無邪気さ半分くらいの割合でバランスをとるのです。

何事につけてもバランスが大切です。傷つくことを好きになる必要はまったくありませんが、傷つくことがなければ人はそれだけ大切なことに気づかずに終わってしまうことも事実と認めることです。

朝布団から出る前に、「今日一日くらい、少し位傷ついてもいいや!」と自分に言ってあげてから起きるのです。傷ついたらチャンスをもらったと思って、そこから逃げずにしっかりとその傷口を見てあげるのです。

それまで見えなかった何かが見えてくるはずです。確実に恐れは小さくなっていくことでしょう。