「しなやか」であること

人生には、いろいろな事が起きますね。自分が能動的に動こうとして起きてくる様々なこともありますが、自分は殊更何もしようとしなくても、起きることがやはり起きてしまいます。

誰でも自分に都合のいいことがたくさん起きて欲しいと願っていますが、それも必ずどこかの時点で期待は裏切られたりするものです。

予期せぬ出来事に揉まれながら人生が続いていくのです。それは、たとえば海面に浮かんでいる瓦礫のようなものかもしれません。

瓦礫は、潮の流れに乗って水平方向へと流されながらも、同時に絶えず波に弄ばされながら上下運動を繰り返しています。

けれども、瓦礫と私たちが根本的に異なるのは、私たちは常に一喜一憂しながら毎日を送っているということです。時には、潮の流れに逆らって一か所に留まろうとしたりします。

自分に都合のいい波がやってくると悦び、いやな波に襲われれば逃げようとして苦しむのです。都合のいい波が沢山やってくる人生を幸福な人生だと思い込んでもいるのです。

だからこそ、いずれはやってくるいやな波によって、不満を感じるのです。一つひとつの波の好き嫌いは当然あっていいのですが、人生を全体として見てそれを信頼することができたら、波を見る目は俄然変わってきます。

トータルで見ると、真に都合の悪い波などというものがなくなってしまうからです。大いなる意志に誘われている自分の人生に信頼を寄せることです。

激しく波にもまれているときには、なかなかそうは思えないものですが、それも人智を超えた何かに揺られていると感じることができれば、どの波も必要なものだったと分かるのです。

あなたの心を頑なにしているものは、生きることの恐怖です。絶対的な信頼の欠如なのです。自分の身は自分で守らねばという涙ぐましい努力をやめられないのは、そのためなのですね。

どこに流されていこうが、どんな波にもみくちゃにされようが、人生をトータルで見渡すことができたら、根っこの微動だにしないでいる、自分の本質が見えてくるものです。

硬直化せずに、抵抗せずにいればいるほど、それを直接体験することができるはずです。しなやかで柔軟な心でいることで、どんな波もお友達にしてしまえばいいのです。