進歩せずに生きる

外出があまり得意ではない私は、どういうわけかサラリーマン時代にはたくさんの出張をさせられていた経験があります。全部で4つの会社を渡り歩いたのですが、その全てで出張が多かったのです。

何かの嫌がらせなのか、偶然なのかは未だに分かりませんが。まだ営業職であれば分からなくもないのですが、ずっと技術職だっただけに納得がいかないのです。

その当時、いろいろなところに会社のお金で行けていいね、と羨ましがる輩もいましたが、旅行すらあまり好きではない私にとっては、出張は苦痛でしかありませんでした。

だから今の仕事になってから、出張というものがほとんど皆無となったことは、私にとっては幸運の極みなのです。本当にごく稀にクライアントさんのお宅まで出向いて、セッションをすることもなくはないのですが…。

ただし、今後もずっと今のままでやっていけるという保証などどこにもないので、また出張の日々が再燃してしまうことになるかもしれません。

なぜ出張や旅行が苦手かというと、きっと二つの主な理由が考えられるのです。その一つは、大変な臆病者だということです。つまり、怖がりなので身の周りで予期せぬ出来事が起きる可能性が高くなるだけで、気が重くなるのです。

勿論出張先や旅行先で、考えもしなかったことに出くわしたりすることは、確かに面白いこともあるし、自分の中にも多少はある冒険心が刺激されて興奮もするのですが、それよりも恐怖が大きいのでしょう。

出張や旅行というよりも、冒頭書いたように、単に外出することが億劫というのもそこから来ているのだろうと思います。外的刺激に敏感過ぎるということです。

そして、もう一つの理由ですが、それはどこに行っても何を経験しても、過ぎてしまえば同じというのが根っこにあるようです。どれほどすばらしい景色に感動しても、すぐにそれは消えてしまうのです。

そのために、外的刺激を様々に変化させていろいろな体験をしたいという欲求がないのです。どんな体験をしても、いつもそのど真ん中には変わらぬ自己が在るだけです。

その自己は本当に変わらない。今だに精神年齢は10代かもしれませんし、進歩も改善もありません。きっと死ぬ間際にも同じことを言っているはずです。

こういう人間がいてもいいのでしょう。何の役に立つかはほとんど不明ですが…。