現在を満喫する

私たちは、絶え間なく思考を活動させていることに普段あまり気づいていません。なぜなら、そのことに気づいた瞬間には、そこからは抜け出せているからです。

それを明示的に行うのが瞑想ということですね。瞑想を奨励する人が多いですが、それは思考の罠からなるべく抜け出すためなのです。

思考は、実は現在にはいることができません。というよりも、思考は過去と未来を作り出す張本人なのです。実は、過去も未来も現実にはありません。

「過去とは過ぎ去った現在であり、未来とはこれからくる現在のこと。」これは、osho(あるいは老子)の言葉ですが、非常に的を得た表現ですね。

つまり、私たちが現実の世界で生きているのは常に現在(今)でしか在り得ず、過ぎ去った現在やこれからくる現在を疑似的に体験させるのが思考なのです。

この思考が作る疑似体験の要素には、愛は入っていくことができないのです。なぜなら、愛は現実体験であって妄想の中にはないからです。

思考が作る疑似体験は、シンプルに表現してしまえば、恐怖がその原動力となっているのです。つまり、私たちが過去を追体験しているとき、その主な目的とは恐怖からの逃亡、自己防衛であるということです。

簡単に言えば、思考は恐怖と一体であり、無思考は愛であるということです。純粋な愛を感情と勘違いしていることが多いのですが、愛は私たちの本質の別名に過ぎません。

エゴが繰り出す思考に巻き込まれてしまっていると、現在(今)という唯一実体験できる大切なものを見失ってしまうことになるのです。

それでは十分に生を生きていることにはなりません。そうならないために、無防備に生を楽しむために、なるべく無理のない方法を実践することです。

その一つが、瞑想ということになるのですが、忙しいあなたのために、毎日一定の時間瞑想する気になれないあなたのために、より簡単でいつでもできる方法をお伝えします。

それは、思考を観察しようとする態度です。思考に巻き込まれてしまうと、過去と未来へと流れていってしまうので、その思考を見る立場にいるようにするのです。

そうすると、思考を止めようとせずとも、思考は自然と緩んできて現在を生きる邪魔をしなくなります。そうやって、思考に巻き込まれなければ、現在という生を十分に満喫することができるのです。