私たち日本人がごく普通に使う「心」という言葉がありますが、この言葉はどうも不明瞭に使われているような気がします。一方、すでに日本語の一部になっているマインドとハートと言う言葉がありますね。
元々は英語の mind と heart なのですが、この二つの単語と「心」という単語との関係はどうなっているのでしょうか?間違いやすいので、一度整理した方がいいかもしれません。
実は、「心」という言葉は肉体と精神とに分けたときの精神的な部分の総称のように使われるのです。だから、とても広い意味が込められているのです。
一方、マインドとハートはかなり明確に区別されています。マインドとは、頭、つまり思考を意味すると思ってまず間違いありません。
日本語で頭で考えずにハートで感じろ!などという場合に、マインドで考えずに…と使えるわけです。このブログでマインドと言った場合には、思考の束が入っている容器のようなものというニュアンスで使っています。
ごく一般的な本では、心(マインド)のような使い方をしている場合もありますので、要注意ですね。そして、ハートという言葉は、感じる部分であるということです。
つまり、マインドとハートとは互いに相反する両極であるとも言えるのです。その双方に「心」という言葉が当てはまってしまうというのは、日本語というのは何とも悠長ですね。
けれども、これは元々日本人がマインド中心ではなくて、ハートを中心としていた民族だったので、マインドを意味する言葉がなかったということなのかもしれません。
仕方なく、大雑把にマインドを心と訳してしまった人がいたのでしょう。だから残念ですが、私はできるだけ「心」という言葉を使わずに、マインドの方を使うように最近するようになりました。
マインドの中にこそ、架空のエゴが潜んでいるのであって、ハートはたとえエゴがなくなっても、というかエゴが消えてしまえばそれだけ十全にハートが開くはずなのです。
マインドが静まり、ハートが全開になったとき、バックに待機していた本当のあなたが全面に顕現することになるのでしょうね。あなたが死に、生まれ変わるということです。