百年も昔から、精神的な疾患というものが認知されていました。それは、大きく分けて、より重篤な症状のいわゆる精神病と呼ばれるグループと、より軽い症状の神経症と呼ばれるグループの二つがあったのです。
ところが近年、その両者のどちらにも入れることができない第三の疾患とも呼べるグループの症例があるということが分かってきたのです。
その事例のことを境界例と呼びました。過去形で言っているのは、現在正式には境界性パーソナリティ障害という名前がついているからです。
なぜ、その境界例の症例が長い間世間に広く認知されずにきたのかというと、そこには明確な理由があるのです。それは、精神病患者の場合には、本人にはその自覚がなくとも、周りの人が見てすぐにそれと分かるわけです。
一方、神経症患者の場合には、逆に他人から見る限りはごく普通の人なのですが、本人には自分の疾患に対する自覚があるため、やはり医者がそれを把握することができるのです。
つまり、精神病も神経症も、周りであれ本人であれ、その疾患に気づくことができるために、世界中でその存在が認知されていたのです。
けれども、境界例の場合には、遠巻きに見る限りは、周りからは普通に見えてしまうし、本人の自覚がないために、医者のところに行くということがなかったわけです。
それで、発見に至るまでにずいぶんと長い年月がかかったわけです。ごく親しい家族や友人などには、普通ではないということが分かるのですが、この人はこういう人だからということで、済ましてしまっていたのでしょうね。
境界例の親に育てられた子供は、大変過酷な毎日を過ごすことを強いられてしまいます。なぜなら、境界例に共通する特徴は、自分の苦しみをネタにして、周り中を巻き込むという傾向があるからです。
そして、強烈な被害者意識と、未発達なエゴのせいであり得ないような罵詈雑言を散々言われ続け、子供は人生をボロボロにされかねないからです。
その子供が10代のころまでは、親がそういう精神疾患を抱えているなどとは気づくこともできないために、もしかしたら自分が悪いのかもしれないという強烈な自己否定が出来上がってしまったりするのです。
友人その他の親の実情を見て初めて、自分の親が普通ではないのだということに気づくことになるのです。境界例の親に育てられた人が、まず最初にしなければならないことは、そういう事実を正面から認めることです。
その上で、育てられる過程で溜め込んだ様々な感情を、ゆっくりと味わって解放していくことです。そして、いずれは親の毒牙から離れて自分自身の人生を歩むことができるようになるのです。
私が感じていることは、そのような境界例の親に育てられた人は、魂の年齢が相当に高いということです。ごく普通の親に育てられた人に比べて、何倍も大切な気づきを得ることができるということも挙げておきます。