最奥にある真実

自分の肉体の眼を使って外の世界を見るとき、私たちは各々が独自の視点を持っていますね。世界中のあらゆる人間が、それぞれ別の視点を持っていることは明らかです。

だからこそ、私たちは自分と他人とを区別し、別々の存在なのだと認識するのです。この視点の違いというのは、決定的なのです。

つまり、それこそが私たちはそれぞれが別々の個人であるという結論になるのです。私には、あなたの見ているものを正確に知ることすらできません。

勿論その逆も同じように言えますね。私が今この瞬間に何を見ているかを知る人は誰もいないのですから。ところがです。ここからが核心のところなのですが。

各自が自分の内側へと視点を変えていき、どこまでもどこまでも深くへと入っていくと、そこには自分が個人だといえるようなどんな証拠もなくなってしまうのです。

私の中の最奥の部分が、あなたの中の最奥のところと違うということを証明することは不可能なことです。それに、実はそんな証明は何の意味も持ちません。

深部へと進んで行けた人びとは、それが唯一の全体性であるということを、すぐに理解します。この深い部分にはどんな個別性もないのですから。

それこそは、あらゆる人間が真に共有しているものなのです。外側の世界では個別性ばかりが見えるのに、内側に入れば入るほどそこには全体性しか見えません。

この違いに気づくとき、人はものすごく救われることになるのです。もうあなたが自分だと思っている人物、その人格はただの作り物でしかなかったと分かるからです。

その作り物は、この物理的な世界では通用する便利なものかもしれませんが、苦悩を生む張本人でもあったのです。あなたの本質はあなたの最奥にちゃんと在るのです。

それはあなたがどれくらい長い期間忘れていようと、そのままでずっとい続けてくれています。決して変化することのない、真実なのですから。だから安心していいのです!

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