常に「見ていること」の実践

もしもあなたが、街を歩いているときに、誰かの家の庭先にきれいな花を見つけたとします。その時に、ごく一般的には「ああ、きれいな花だなあ!」と思うでしょうね。

すごく急いでいて、よほど気持ちに余裕がないとか、いやな気分に打ちのめされていたりしなければ、誰でもそう思うわけです。それがごく普通の反応です。

けれども、そう思ったとすると、残念ながらせっかくハートでその美しさを感じれるものを、マインドが邪魔をしているということに気づくことです。

「思う」というのは思考、つまりマインドの領域だからです。だから、もしも明日以降同じような状況がやってきたときには、決して何も思わずにその花の美しさをただただ感じてみることです。

どんな言葉も内側に存在しないようにして下さい。そのときに、私たちが如何に言葉を使うように慣らされてしまっているかに気づくかもしれません。

どんな小さな声だろうが、ほとんど発生せずとも、心の中でその言葉が浮かんだだけでマインドを使っているということなのです。

きれいな花を見たときに、沈黙の状態でその美しさを感じることができたなら、そのときにはハートをフルに使ったということになるのです。

そして更にその上があります。それは、その花の美しさを感じている自分をただ「見ていること」です。それもできれば、同時にすることです。

これが、私たちにできる最上級のその瞬間の過ごし方なのです。もしも仮に、「ああ、きれいな花だなあ!」と思ってしまったとしても、その自分をやはり「見ていること」です。

その練習を毎日行って下さい。そのようにして、常に意識を自分に向け続けていることができるなら、まず初めに、あなたの内側に言葉では表現できない、「何も無さが在る」と気づくはずです。

そのことに気づくことができると、きっとあなたは人生で初めて「落ち着く」ということの本当の実感を得ることができるでしょうね。実践あるのみです。

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