ちょっとした実験

映画の撮影中に、出演している俳優さんたちがそこにスクリーンを見つけることはできませんね。ロケ現場のどこを探しても、スクリーンは見当たらないのです。

けれども、いざそれが映画として上映されるときには、スクリーンが必須になるのです。なぜなら、映像はスクリーン上に展開されて形になるからです。

私たちが棲んでいるこの世界と、その中で起きるあらゆる事象を、すべて映画の中のワンシーンのように見るとしたら、どこかにスクリーンがあるはずです。

勿論そのスクリーンは映画館のそれとは違って、少なくとも二次元ではないはずですが…。映画の中の人物が、自分が映し出されているスクリーンを発見できないように、私たちもこの世界を映し出すスクリーンを見ることはできません。

それでも、そこに意識を向けてみることは可能です。そうすると、この世界のあらゆる事象の背後には、そのスクリーンが隠れているということに気づくことができます。

この宇宙の背景と呼んでもいいかもしれません。背景ですから、あまねく場所に普遍的に存在して、支えてくれているわけです。

いつも思い出したら、その背景に意識を向ける練習をするといいと思います。その時、あなたはそれが純粋な意識そのものだということを思い出すかもしれません。

その時、あなたの思考は自然と停滞気味になって、そのうちそれが瞑想状態と変わらないことにも気づくことになるはずです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です