執着を愛と勘違いする親

愛は恐れと同居することができません。つまり、愛に溢れている人の内面には、恐怖が存在できないということです。私たちの多くが死を恐れていることを見れば、誰もが愛から遠ざかっていると分かるのです。

人は恐怖や不安を感じるとどうしたくなるかと言うと、愛に戻る代わりに安心を得ようとしてしまうのです。つまり、自己防衛の方向へと向かうことになるのです。

そして安心するために、執着が起きて来るというわけです。

だから、愛と執着は真逆のものと思って間違いありません。ところが、執着を愛と勘違いしてしまう人が大勢いるので、厄介なのです。

愛と憎しみの区別がつかない人はいませんが、執着については間違ってしまうのです。執着心は恐怖からの逃亡によって起きるのです。

したがって、執着は所有を生み出します。親の心が執着に満ちていれば、子供は間違いなく親の所有物にさせられてしまいます。

なぜなら、物は所有できるからです。つまり、その親は子供をモノとして所有しようとするということです。物は反逆しないものだからですね。

反逆されないためには、親は絶対と思わせる必要があるし、コントロールします。それらのすべてが、親の愛だと親自身が勘違いしているのです。

その勘違いが子供へと伝染してしまい、癒しを妨害することに繋がるのです。子供をそばに置いておきたいとか、自分の気に入った人と結婚させたいなど…。

愛の深い親が、「あなたのことを思って云々…」という言葉を吐くことはまずありません。それが愛のふりをしている執着からやってくるということを見抜くことです。

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