瞑想の結果として覚醒するということはない

自分の努力の結果として得られるもので、本当に大切なものは一つもないと言えます。真実は向うから勝手にやってくるものだからです。

もしもあなたが、光明を得たいがためにどれほど瞑想しつづけたとしても、その結果としてそれがやってくるということは決してないということ。

それは眠りと同じようなものだと思えばいいのです。私たちができるのは、単に眠るための準備だけです。パジャマに着替えて横になるとか、電気を消すとか。

でもあなたの努力の結果として、直接的に眠りの中に入っていくことは不可能ですね。それと同じようにして、あなたのどんな努力をもってしても、真理には到達できないのです。

かえってその努力自体がエゴを強化してしまうために、真理は逆に遠ざかってしまうはずです。だからと言って、何もせずに手をこまねいていればいいのかというと、そうでもありません。

眠る準備をするのと同じように、覚醒がやってくる準備をすることはできるのです。つまり、それが瞑想ですね。瞑想は単なる準備であって、それが覚醒に導いてくれるわけではありません。

けれども、瞑想しなければ覚醒がやってくることはほとんどなくなってしまいます。そこが問題なのです。期待せずにただ瞑想をする、希望を持たずにただ待つということ。

どんな修行であれ、その結果として、その延長線上に覚醒がやってくるのではないということを理解することです。この姿勢を貫くためには、信頼がどうしても必要のようです!

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