無目的な瞬間を生きる

私たちの行動や行為、言動などは必ず何等かの目的を持っています。学校に行くのは、そう決められているからだし、大人になって仕事をするのは、お金を稼ぐため。

友人とお酒を飲むのは、憂さ晴らしかもしれませんし、テニスに興じるのは身体を動かして楽しむため。何であろうと、なぜそれをやってるか?と聞かれたら、○○のためと答えられるのです。

なんなんですかね、これって?たまには、聞かれてもまったく説明がつかないようなことをしてもいいのではないかと思いませんか?

説明できないこととは何でしょう?それは目的のないことです。どんな目的もないことを、誰かに説明することは不可能なことですから。

あなたの一日のうちの、ほんの数分でもいいから全く目的のない状態でいることができるなら、これは画期的なことになってしまいます。

最もシンプルな理由は、「そうしたいから…」だと思うのですが、それですら立派な目的があるわけです。無目的とはこれほど難しいのです。

私たちの周りに広がっている自然は、どんな目的も持ってはいません。バラの花は、目的を持って咲くわけではありません。植物だけでなく、あらゆる動物も目的を持たずに生きています。

人間だけが、目的を持たずに生きることができない。つまり自然に生きることができないのです。それは、不自然に生きているということ。

不自然は何と魅力的なことか。自然のままに生きようとすれば、つまり目的を失って生きるということになるのですが、それは自我(エゴ)にとっては致命的なことなのです。

だから、もしも自分のエゴと少し距離をとりたいのなら、無目的な時間を過ごすこと。不自然(人為的)な世界から抜けて、自然と調和する瞬間にこそ、永遠の至福が待っているのでしょうね。