「無為自然」に生きる その2

昨日のつづきです。

昨日のブログで、人間だけが自然に生きるか、不自然に生きるかの選択権があるということを書きました。で、昨日とまったく違うことを書きます。

別の見方をすれば、その選択権があるかのように見えること自体が、自然の中で起きていることだと捉えることだってできるのです。

自然の中で動物の進化があるレベルまで到達して、人間が発生して、奇跡的にも意識を持つようになったと同時に、自我をでっち上げたのです。

自我は、自分には独自の自由意志があり、物事を選択する能力があると感じるようになったのです。その自由意志も含めて、自然の中で起きていることだと捉えればいいのです。

そうなってくると、自由意志はあるようでいて、実はないということに気づきます。このことは、脳神経科学の結論とも一致することになったのです。

やっぱりあなたは自然の一部だということです。なによりも、自我は架空のものなので、つまり自分はいるという思い込みに過ぎないので、不自然というものは存在しないと分かります。

じゃあ、老子が言いたかった真意とは何だろうか?それは、自我も自我が作ったこの世界も幻想だと気づくこと、それすら自然の一部で起きていることには違いないのですけどね。