壮大なかくれんぼ

いつも言っているように、行為には遊びと仕事の二種類しかありません。遊びとは、手段と目的が一つであり、仕事とは手段と目的が分離しているもののこと。

私たちのマインドは、大抵目的指向になってしまっているため、その行為が仕事中心となってしまうのです。必ず、今行っていることが未来に存在する目的を実現するためのものになっているのです。

一方で、遊びにはどんな未来も含まれません。なぜなら、今この瞬間が敢えて言えば目的だからです。手段としての行為そのものが目的なのです。

だから、遊びには「なぜ」がありません。なぜそうするのかと聞かれても答えはないのです。ただ、そうしたいからと答える以外にはないのです。

神は、私に言わせればこの世界というおもちゃを使ってただ遊んでいるのです。己の姿を隠しながら、かくれんぼをしながら永遠の遊びを続けているのです。

だから、神に向かって「なぜ」この世界を作ったのかと質問しても、まったく無意味なことなのです。神はこの世界の創造者ではありません。

ただ遊んでいるに過ぎないのです。そこにどんな目的もないし、理由もないのです。もしも目的があるのであれば、神には欲求があるということになってしまいます。

神は壮大なかくれんぼをしながら、この世界というおもちゃで面白おかしく遊び続けているのです。だから、もしもあなたのマインドに深刻さがあるなら、それを大笑いしているはずなのです。

そして、あなたの行為のほとんどが遊びになったなら、あなたは神聖な存在となるのです。

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