今年も気楽に生きましょう!!

全体が舞いめぐり
その全体が決定する
たくさんのことがあなたを通じて起こる
だが、あなたがやり手なんじゃない
たくさんのものがあなたを通じて生み出される
が、あなたが創造者なんじゃない
あくまでも全体が創造者であることは変わらない
あなたは単に媒介であるだけだ
全体のための媒介だ

by osho

全体というのは、私たちが分離という幻想の中に暮らして、個別に物事が起きていると信じているからこその言葉なのです。

だから全体というときに、個々の集まりのことを意味すると思ってしまうのですが、そうではありません。

全体あるいは全体性というのは、分離のない状態を意味するのです。分離という幻想が実在しないのですから、それは二のない一をいうのです。

不二一元論と呼ばれたりしますが、つまり一つ二つと数えることのできない意味での一なのですね。

私たちは、自分のことを自由意志を持った自律的な存在だと思い込んでいます。それこそが個別性を生み出すわけです。

けれども、もうすでに脳科学の分野では人間に自由意志はないということが認められてしまっているのです。

あなたが何かを決意する(と思い込んでいる)とき、それは全体の一部としてただ起きているだけだと理解すればいいのです。

このことは簡単な実験をすることで、すぐに確かめられるはずです。決意する時、あるいは選択するときに、どんな条件もないような状態を作ればいいのです。

たとえば立っている自分が自由意志で歩き出す時、実際にはいつ歩き出すかということをどのように決意するのか、その方法を知っている人はいないのです。

今決意して歩き出したと言うかもしれませんが、その決意はもう少し前でも後でもよかったはずなのに、なぜそのタイミングを選択したのか?

これに答えられる人はいないのです。決意は全体性からやってくるだけだからです。納得がいくまで、実験をしてみればそのうちには分かるようになるはずです。

起きることが起きるという本当の意味はこういうことなのです。やり手は一人もいない、エゴという独自性も全体の一部に過ぎないのですね。

だから善も悪も、正も不正もどんなことであれ、起きることは全体の営みに過ぎないということです。そうなら、もっともっと気楽に生きればいいということですね。

今年も、気楽に生きましょう!!