エゴは特別な自分でありたい

東京ではソメイヨシノの桜が散ってしまいましたが、その後を継いで八重桜が今満開の時期を迎えているようですね。

子供の頃に住んでいた家が川のほとりにあって、その川の両側がずっと桜並木だったので、家の二階から花見ができたのです。

たまたま家の正面に一本だけ八重桜があったので、長い間桜を楽しむことができたのです。八重桜は単独でも十分に存在が目立つのが特徴ですね。

あのふっくらとした花の形と、満開の時期が他とずれているということで、存在が際立つわけです。

私たちのエゴも同じように、自分は特別な存在でありたいといつも願っているのです。だから幼いときには、いつも親に目を向けていてほしいのです。

自分だけを見ていてほしいと願っているのですが、現実はそうはいかないのですね。兄弟がいたり、親自身が忙しかったりして…。

エゴは自分が特別であることに命を懸けているので、それが肯定的なことであれ否定的なことであれ、なんでも使うのです。

人よりも何かが抜きん出ていることがあれば嬉しいし、場合によってはその逆であっても特別であることを優先するのです。

エゴにとっては特別さがなくなって、全体の中に混じって存在がわからなくなってしまうことが一番怖いことなのです。

その理由はただ一つ、エゴは実在するものではないので、それがバレることが死ぬより怖いからなのですね。

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