内側にのみ真実がある

老子は、真理を見出すために部屋の外にでてゆく必要はない、扉を開ける必要すらない、目を開ける必要すらない、と言う–。真理とはあなたの実存だからだ。それを知ることがブッダフッドだ。

by osho

一般的に瞑想するときに目を閉じるのは、↑こうしたことが理由なのですね。目も耳も外側に向けて知覚するようにできています。

そういった感覚を閉ざすことで、意識を内側に向けやすくさせようとする目的があるということです。

↑老子のこのような言葉を聴くと、どれだけ私たちが社会という外側の世界ばかりを見て暮らしているのか、理解することができますね。

そればかりか、外側の世界だけが頼みの綱だと思い込んでいます。何かを手に入れるのは決まって外側の世界からだからです。

仕事でもレジャーでも、すべてが外にある。観光をしてみたり、人と一緒に何かを体験するのも外側なのです。

内側だけがまったく独りで向かう孤独な世界。けれどもそこにのみ真実が隠されていると言っているのです。

現実的に言って、外側を見ずに生きることはできないので、外側と内側の両方に意識を向けていられる練習をすることが必要です。

たとえば目を開けていても、何も見ずにいる実践を繰り返すと、目を開けたまま瞑想をすることができるようになります。

瞑想の方法が分からないという人がいますが、要するに内側に意識が向いている状態でいることだと理解すればいいのですね。

そしてより深く内側に向くことで、実は内側と外側を区別していたのは自我だったと気づくことになるのです。真実には内も外もないのです。