自意識は自我のものではない

AIの技術が進化して、人間とそっくりに見えるロボットが生まれる時代が、いつかは必ずやってくるでしょうね。

その時、目の前にいる存在が血の通った人間なのか、あるいはAIのテクノロジーが生んだ人間のような存在なのか、外側からは判別できないのです。

相手に自我があるのかどうか、それを見分ける方法は絶対にないのです。自意識がなくても、あるかのような振る舞いをすることは可能だからです。

だとしたら、今あなたの目の前にいる大切な人に自我があると証明することも不可能なことだということが分かります。

自我があるかどうか、自意識があるかどうかは一人称である本人だけが決められることだからです。

そういう意味では、やはり自分というのは本当に自分にとっては特別な存在だということが言えますね。

けれども待ってください。だからといって、自分という存在はここにいる、というのは全くもって間違いようのない真実だと思うのは早とちりなのです。

実は自意識というのは自我のものではないからです。それは覚醒した意識のことだからです。

自我はうまくそれを利用して、自意識こそが自我である自分の根っこだと思い込んでいるのです。

自我(思考の塊)と意識とは全く次元の違うもの、雲群と青空くらいに異なるものだと理解しておく必要がありますね。