タントラは無条件に「イエス」と言う。まさにあなたの実存そのものから、「ノー」は消え失せる。
そこにひとつの「ノー」もなかったら、どうして戦うことなんかできる?あなたはただ漂うだけだ。
ただ交わり合うだけだ。あなたは<ひとつ>になる。境界線などというものはもうない。
by osho
確かに↑その通りなのですが、だからタントラの教えに従って何でも「イエス」と言えばいいのかというと、そうではないのです。
私たちは所詮自我として生きているのです。自我とは、この世界とは分離した「私」という存在がいるということを信じているのです。
その個別性、特別性を持続するためには「ノー」を言わなければならないのです。自我にとって、「ノー」は自分の存続を支えるものなのです。
それなのに世間には沢山の「イエス」マンがいるのです。こういった人々というのは、「ノー」を言う自我であることを隠そうとしているのです。
「イエス」を言うことで、私はあなたに従属しますので、私を攻撃しないで下さい。私を評価して下さい。私を見捨てないで下さい。
そう訴えているのです。そのための「イエス」なので、タントラの言うこととは、全くもって異なるということを理解することです。
自我として生きている限りは、まずは「ノー」をしっかりと表現できるようになって、自己防衛を小さくしていく必要があるのです。
その先に、もっともっとず〜っと先の方に、タントラの世界があることを分かって欲しいのです。