特別な「私」などいない

あなたの中の「私」という自我は、自分の内側とこの世界という外側とが分離しているという考えが前提となっているのです。

肉体の内側が自分であり、外側がこの世界です。内側に自分の本拠地があり、外側には無限の宇宙が広がっているわけです。

もちろん自分はその宇宙の中にいるのですが、この内側だけは独自の領域であって、誰からも見つからない特別な場所だと感じているのです。

けれども、瞑想などによって内側深く入り込むにつれて、そこは内側ではないと気づくようになるのです。

自分の内側とも外側ともまったく次元の異なる世界を感じられるようになるからです。それこそが全体性なのです。

その視点からすると、自分の内側と外側には違いがないと分かるのです。結局自我は外側の世界に属していたということ。

決して内側などというものはなく、ということはつまり自我が感じている分離感というのは間違っていたということです。

在るのは、宇宙という現象界とその背景としての全体性だけだったのですね。全体性とは「無」の別の呼び名でもあります。

無からあらゆる現象が立ち上がり、また無へと戻っていくだけで、特別な「私」などどこにもいないのですね。