「雪隠詰め」は死語?

若い人は全く聞いたこともないと思いますが、「雪隠詰(せっちんづ)め」という言葉があります。というか、ありました。

辞書には、「 1.将棋で相手の王将を、盤の隅に追い込んで詰めること。2.逃げ場のない所へ追い詰めること」とあります。

雪隠(せっちん)というのはトイレのことで、昔の家屋はトイレが隅にあることが多かったようで、それで雪隠詰めと言うようになったらしいですね。

なんでこんな話しをするかと言うと、セラピストというのは場合によってはクライアントさんを雪隠詰めにする必要があるのです。

なぜなら、誰だって都合の悪いところは見たくないものなので、そっぽを向かないように逃げ場を少しずつ取り上げていくのです。

肝心なところを見ざるを得ないように仕向けるのですが、クライアントさんは無自覚とは言えあっちにいったりこっちにいったりして、逃げ回るのです。

セッションを重ねていくうちに、そういうことにも気づけるようになっていくのですが、最初のうちは雪隠詰めされたらシンドイでしょうね。

だから言葉巧みにいつまでもはぐらかして逃げ回るクライアントさんもたまにはいらっしゃいますが、それも防衛の一つということです。

それはまるで池の水を入れ替えるために、池の中の鯉を隅っこまで追い詰めていって、ようやく生け捕りにするようなものです。

少し比喩が悪かったですが、それでも鯉のことを思って追い詰めていることは、鯉には伝わらないけれどやりがいのある仕事です。