自己嫌悪を見つめてみる

外側に向かって何かを訴えるエネルギー、その一つは自己表現と呼ばれることもあるし、怒りの感情として現れることもありますね。

一人の人間としてこの社会の中で生きていくためには、外へ向かうチカラである自己表現も怒りも絶対的に必要なものだと言えます。

ところがそれを抑えてしまうものがあるのです。このブログで今までに何度となく触れてきたのですが、それは「恐怖」と「罪悪感」と「自己嫌悪」なのです。

恐怖がやってきたときには、怒りを出すことはできませんし、罪悪感がきたときにも怒りは抑え込まれてしまいます。

そうした経験を私たちは何度となくしてきたはずです。こうした体験というのは、単に怒りを抑圧するだけで怒りは溜め込まれていくのです。

その一方で、自己嫌悪というのは外向きの怒りは抑えられるのですが、その怒りは自分自身へと向けられるのです。

だから自己嫌悪は自己否定でもあるし、自責の念と言われることもあるのです。自分に怒りを向けて自分を罰しようとすることもあるでしょう。

つまり、恐怖や罪悪感のようにただただ怒りを抑圧するのではなく、怒りの向きを逆にする事で自己嫌悪が起きるとも言えるわけです。

その結果、特に幼い頃に自己嫌悪が強ければ強いほど、親に向かって怒りを感じるようなことができなくなってしまうのです。

もしも子供の頃に、親への怒りを感じた記憶がないということであれば、自己嫌悪について見つめてみることをお勧めします。