ブログを書こうと思ってキーボードの前に座って、静かにやってくる情報を待っていたら、あるイメージが浮かんできました。
それは自分のエネルギーが今この瞬間の一点に凝縮するイメージです。瞑想中に感じるあの全体性の真逆のイメージかもしれませんが。
普段は空間的な広がりと、時間的な広がりの言ってみれば4時限の世界を行ったり来たりしながら生きているのです。
これはもちろん思考によって可能になるのですが、その状態においては必ず不満や欠乏感がやってくるとわかりました。
エネルギーがその仮想的な広がりの中へと拡散して薄れていくのです。それと同時に思考による有限の広がりにおいては、分離が起きるのです。
だからそこでは必ず部分としての不満や欠乏感がついてくるのです。これが自我の生きる土俵になるわけです。
その反対に、今とここの一点に凝縮したエネルギーは、決して欠乏することも不満になることもないのですね。
それを完全に満たされている状態というのです。一点というのは無と同義なのですが、それはひっくり返せば全体性とも同義です。
何だか分かりづらい文章になってしまったのですが、要するに時空という有限の広がりの中で不満や欠乏感を満たそうとしても不可能だったということです。
この世界で何を手に入れたら満たされるのかではなく、思考による広がりから離れていることによってのみ、これ以上はないという満足感が得られるのですね。