観照のみが残る

私たちの人生物語は、あらゆる体験の連続によって成り立っています。嬉しい体験、悲しい体験、惨めな体験、誇らしい体験。

そうした体験というのは、体験そのものとそれを体験する体験者、つまりあなたの二つがいつもあるのです。

そして意識的であるということは、体験そのものよりも体験者(あなた)に注意を払い続けることを指すのです。

ところが残念ながら私たちは、どうも体験にばかり気を取られてしまう傾向が強くて、だから無意識的になって物語の中に嵌まり込んでしまうのです。

もしも体験者であるあなたに注意深い眼差しを向けてあげられるなら、実は体験者だと思っていたその奥に、ただの観照者がいたと気づくのです。

そしてしばらくは、体験と体験者と観照者の三つどもえ状態が続くのですが、そのうちに実在するのは体験と観照者しかないのだと感じるようになります。

そう、体験というのは体験者なしではありえないと信じていたことが、間違いであったと気づくようになるのです。

そして最終的には、体験そのものは起きては消えていくはかないイメージであって、真の実在とは観照する意識だけとなるのですね。