物語を傍観する

私たちの知覚、つまり五感というのは外の世界からの情報を取得するようにできています。

だから放っておけば、外側に注意が向くようになっているのです。乳幼児は見るもの触るものが初体験なので、興味は尽きないわけです。

そうした状態はしばらく続くのですが、いつの頃からか人によっても違いがあるのですが、五感を使わずに内側に注意が向くようになるのです。

ここからが他の動物と我々の違いが出てくるところなのです。自分の内面というものを感じるようになるのです。

そうやって成長していく中で、やっぱり外側で起きている物語にばかりとらわれてしまう人と、より深く内面に入り込む人がいるのですね。

その違いがどこからやってくるのかは定かではないですが、前者と後者とでは10年20年と過ごすうちに、次第に結構大きな違いが生まれてくるのです。

内側に意識を向けられる人は、外で起きている物語を傍観するという感覚が自然と身についていくからです。

更に進むと、自分の内側だと思っていたけれど、それは個人という小さな自分の内側ではなく、この大きな宇宙をも含んだものだったという感覚がやってくるのです。

そうなったら、いつも外側にばかり気を取られていた人たちとは、生きている感覚というものが相当に異なるものとなるでしょうね。

どちらが上とか下ということはないのですが、きっと一番の違いは死にゆく時にはっきりするのだろうなと思っています。