自己の不在は気楽なもの

子供の頃、海に行くことがあると次から次へと沖の方からやってくる波を見て、何だか不思議な気持ちになったことがありました。

だって沖の方にはなかったはずなのに、どういうわけか近づいてくるうちに、はっきりとした波の形となって押し寄せてくるからです。

波はどうやって生まれるのだろう?そう思って、もっとよく観察して見ると、どうも波という存在はないのです。

波は現象でしかなく、要するに海面の上下運動が単に伝搬しているに過ぎないのです。それを一つの塊として存在しているように見ているのです。

それと同じで、存在しているように見えて実は存在していないものはたくさんあることが分かります。

影もそうですね。影は光の不在であるだけでそれ自体の存在はありませんが、あたかも存在しているように見えるのです。

実は個人という存在も同じなのです。肉体そのものは確かに個別的に存在しているのですが、それそのものが個人というわけではありません。

自我を通すことで、それぞれの個人が存在しているように見えるだけなのです。それはマインドと呼ばれる現象によって、あたかも個人が存在しているように感じるのです。

もしも私という個人の存在は絶対だと信じているなら、その存在を証明できるかを試してみることです。

証明できた人は歴史上一人もいなかったはずです。なぜなら、個人という存在はないからですね。

そこを見抜くことができたら、人生がとても気楽で生きやすいものになるはずです。