傍観者であれ

私が高校生の頃だったと思うのですが、国内のあちこちの大学で大学紛争がすごいことになっていたのです。

けれども正直自分にとっては何だかあまり興味を持てなくて、学校でそうした話題になった時、積極的に参加できなくてただ傍観者になっているだけでした。

あの当時、傍観者でいることはとてもカッコ悪い思いがしていたのを覚えています。世の中の情勢に興味を持たないのは、頭が悪い奴みたいな感じがしていたのです。

あるいは意見を求められたら、それなりに自前の意見を言うこともできるのですが、いざとなると行動が伴わないのです。

これも傍観者でしかないよね、という烙印を押されたような気がしていました。だから傍観者というと、あまりいいイメージが湧いてこないのです。

けれども、マインドを深く理解するようになって、この傍観者であることがとてつもなく大切なことだと気づくようになったのです。

マインドにおける傍観者というのは、自我のあらゆる側面をただ傍観し続けるということなのです。

それによって、自我に乗っ取られずに済むのです。自分を責める部分があれば、それを傍観し、防衛しようとする部分があればそれも傍観するのです。

何から何まで一つ一つを丁寧に傍観してあげること。それによって、自我とは距離を置いた生活をすることができるようになるのです。

そのことによる恩恵は計り知れません。さあ今日からでも遅くはないので、自分の自我の傍観者になる練習を繰り返してください。

本当はその傍観者こそ真のあなたの姿なのですから。