無意識が思考を招く

人は充分に意識的であることができるなら、思考を寄せ付けずにいられるようになるのです。思考は無意識の隙を見てあなたの中に侵入するからです。

思考の中で最も根源的なものの一つは、自分は惨めだというものです。そして惨めさというのは、自分の存在が危ぶまれると感じさせるものです。

だから全力でそれを隠そうとするのです。もしも惨めさをそのままに受け止めるなら、それは悲しみという感情として表現されるでしょう。

けれども、大抵の場合は正面切って惨めさを見つめることをする代わりに、あるもので覆い隠そうとするのです。そのあるものとは、怒りの感情なのです。

ところが、その怒りそのものをまた抑圧してしまうという防衛が働くこともあって、その場合には、惨めさと悲しみと怒りを全部ひっくるめて隠してしまうのです。

怒りを抑圧する場合、怒りとその元になった物語(思考)を絡ませて、恨みや復讐心、あるいは呪うようなものへと変化させることもあります。

そうなると、純粋に怒りを味わうことが難しくなるはずです。なんだかややこしい話しになってきましたが、ことの発端は無意識でいたという点です。

だからなるべく意識的であるようにして、あちこちに浮遊しているゴミのような思考を中に入らせないようにすることです。

これまで蓄積してきてしまった感情は、思考と分離する形でしっかり味わって消費すること。そして、これからは意識的であるように心がけることが一番大切なことですね。