一つひとつの行為を丁寧に

私たちが何かを行為するときに、丁寧に行う場合もあれば、雑に行う場合もあります。こうしたことは、動物には基本的にはありません。

それはなぜかというと、意識的かどうかに関係することだからです。動物は常に無意識であり、人間だけが意識的である可能性があるからです。

物事を丁寧に行う時には、自動的に意識的にならざるを得ないのです。その逆も然りで、無意識的に行うと雑になる可能性が高くなります。

例えばクルマに乗った瞬間、気がつくとたくさんの動作をほとんど一瞬でこなしているのですが、無意識的になりがちです。

ブレーキを踏みながら電源スイッチをオンにし、エアコンのスイッチを入れ、シートベルトを締めて、サイドブレーキスイッチをオフにし、ギアをBレンジに入れ、e-pedal スイッチをオンにし、擬似音スイッチをオフにする。

今改めて書いてみて、これだけのことをほぼ無意識でやっているのですから、慣れというのは恐ろしいです。

この慣れが、人を無意識にしてしまう悪者とも言えますが、本当は自分が無意識になりたくて習慣のせいにしているだけなのです。

自我は意識的であり続けられると、自分の正体がバレる危険があるので、なるべくなら無意識的に生きて欲しいと思っているのです。

それはともかく、意識的であるということがあまりピンと来ないという場合には、一つひとつの行為を丁寧に行うように心がければいいのですね。