去り行く雲を見続ける

空一面が雲で覆われているような曇りの日であっても、その雲の向こう側には青空が広がっていることを私たちは知っています。

けれども、あまりに雨天が続くような時には、本当に青空があるのだろうかと疑いたくなることもありますね。

雲が思考だとすれば、青空は意識だと言えます。私たちがこれが自分だと思い込んでいる自我は思考の塊です。

つまり、雲を自分自身だと思っていて、その奥に隠されて決してなくなることのない青空こそが本当の自分だということを忘れているのです。

雲は常に行ったり来たりして、時にはその雲は小さくなって青空がしっかりと顔を覗かすこともあります。

晴天の時には雲がなくなり、青空だけが残る。私たちが知っている自分の死とは、雲がなくなることを言うのです。

日頃から決してなくなることのない青空(意識)こそが自分の本質だと気づいているなら、自分には死はやってこないと言うことになるのです。

これは知識として持っていても全く役に立つことはありません。いかに雲の隙間から見える青空に意識を向け続けていられるかが勝負です。

自分の最期に、去り行く雲を見続けていられるように今から準備しておきたものですね。