誰もがより幸せになりたいと願っているものですね。ただその究極の幸せとは一体何なのかというのは曖昧なものです。
それもそのはず、幸せの正体とは比較から生まれてくるものだからです。不幸だという思いがなければ、幸せもなくなるのです。
最初からずっと幸せな状態のままでいて、幸せを体感することは不可能なのです。きっと何も感じることはできないはず。
それと同じように、ずっと健康体でいることができるなら、健康とは何だろうということになるのです。
それも不健康との比較によって見出すことができるだけ。食べ過ぎて胃もたれが起きて、初めて胃袋の存在を知ることになるのです。
健全な胃の状態では、胃の存在を知ることができないのです。要するに、不健康があって健康が意味を持つのです。
不幸があって幸福を認識できるのです。不安があるからこそ安心が分かるのです。幸福だけ、健康だけ、安心だけというのは妄想に過ぎません。
二元性の世界とはこのように作られているのですから、都合のいい方だけを求めることが理に適っていないことに気づくことです。
快感を求めた瞬間に不快がついてくるのです。全ては対極にあるものとのペアで成り立っていることを忘れないことですね。