認知症を患った93歳の母親との夜な夜なする会話の中で、ごくたまに母親の自我の本音が表面に出てくることがあります。
昨夜はまさにそれがあったのです。いろいろ話している中で、母親曰く「心配事が全くなくなってしまったら、生きてる甲斐がない」と。
多少なりとも私の職業病が出て、セッションのように本心と出会えるように誘導しているのかも知れませんが…。
そう言う時の母親の態度には迷いがなく、どこかキッパリとした口調になるという特徴があるのも興味深いです。
不安や心配事がなくなったら困るというのが自我の本音であることはこのブログでも何度となく書いています。
私たちは常に、闘う相手、対処すべき問題、そういった不安や心配のネタを絶やさないようにして生きているのです。
それによって自分の本質に気づくことから遠ざかっていることができ、自我はその存在がただのイメージであることがばれずにすむのです。
年老いて、歩くこともままならず、何一つ自分一人ではできなくなった時に、心配のネタが尽きてしまった母親は、最終手段として妄想の中に入るわけです。
それを外部から助けてあげることは残念ながらできません。誰もが年老いてそのようになっていく可能性を持っています。
そうならないためにも、今のうちから自我の仕組みをよく理解して、不安や心配を用いた自我の策略に乗らずに済むように準備しておく必要があります。
そのためにも、普段から意識的であることを心がけておくことですね。